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1991-92年度ガバナー 森 三郎
ロータリー歴 |
- 1972年
- 寄居RC入会
- 1978年7月
- 寄居RC会長
- 1985年7月
- 地区国際親善委員
- 1988年7月
- 地区ロータリー情報委員長
- 1989年9月
- ポールハリスフェロー
- 1990年7月
- 米山功労者
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無事是貴人
私が地区ガバナーを務めた1991年度、つまり一般の暦では1991〜92年という1年は、この日本国も今ほど騒がしくなく、穏やかな空気が漲っていた。ロータリーの世界も全体としては平穏なもので、強いて挙げるならば財団のシェアシステムという新しい方式が公にされて、財団関係者にとって耳新しい言葉であったくらいであるから、地区の一般ロータリアンにとっては、何が何やらさっぱり分からぬ言葉と観念が勝手に地区の中を走り回った感じである。
ロータリーの組織のありようから言えば、物事の新設や改革ということは、果物が熟れて自ら枝を離れるような、気の長さと地道な衆論とを必要とするのに、新システム実施については、クラブレベルまでの理解はほとんどなされることがなかったことは、後になって次々とあらわれてくる新規プロジェクトに往々見られる。性急、唐突、生煮え等の性格の走りとも言うべき現象ではなかったのか、との思いが致されるほど、91年度に続く諸年度は落ち着きのない年度であったように思われる。
国際ロータリーの肥大化に伴う、組織内官僚層の形成、事務局の権限の過大になったことなど、落ち着きなきロータリーの感触を嘆く声はかなり広まっている、と見るのであるが、これも、時勢の然らしむところであるのか。
だから私の年度は古き良きロータリーの最後の年度であったのかもしれない。
人材の森ロータリーのロータリー観は、私が考え出したというより、不思議な機縁で私に授けられた啓示であって、ガバナーの役割を促しと観じたのも、我以外皆我が師の心得も、すべてこの啓示から導かれたもので、地区やクラブに対する私の目線は、終始一貫して、変わることも迷うこともなかった。
地区に波風の立つことなく、不協和音の聞かれることなく、2つの新クラブの誕生を見ながら、無事に年度が終わった事由の一つに、仮に地区に臨むガバナー、分区代理、地区役員の巧まざる心の姿勢が数えられるとするならば、それは、ロータリーというところは、どこにどんな偉い人が隠れているかしれない、という慎みとおそれの気持ちがあったことが挙げられようか。偉い人、という物言いはロータリーからなくそう、と考えたことが完全に浸透したとは思えないが、方向だけはそのように地区の気風が育っていった。
「地区のあゆみ3」より
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