職業奉仕委員会

職業奉仕委員会

職業奉仕委員長
職業奉仕委員会 委員長
金井福則(本庄RC)

 水村雅啓ガバナーは、職業奉仕委員会に職業倫理の高揚を促す事を目的に3つのテーマを示唆されました。

  1. 職業人として、品格と高潔性を高め、公共イメージの向上につながることを教示。
  2. 職業を通じて社会に奉仕する経済人によるセミナーの開催。
  3. 近代日本の産業経済に貢献し、福祉や教育にも尽力した渋沢栄一翁を紹介。

  ロータリー五大奉仕部門の第二部門である「職業奉仕」は「日本資本主義の父」と呼ばれた実業家、渋沢 栄一翁の考え方ではないだろうか。また、ロータリーが目指している指針は渋沢栄一翁の生き方に通じ る。渋沢は、大正5年(1916年76歳)「論語と算盤」を著し「道徳経済合一説」という理念を打ち出した。『倫 理と経済』は車の両輪で、経済(お金儲)だけが大きいと、真っ直ぐ(会社)走らない。両方が一体でなけれ ばならないという理念である。渋沢は『論語と算盤』を根本に約500の会社の経営に関わり、その会社の 多くは現在でも繁栄存続しています。今日の日本企業の大部分は渋沢栄一によってその土台が築かれた のです。

 渋沢栄一は、職業を通して

【社会奉仕】 日本赤十字を初め養老院兼孤児院(東京市養育院)設立。飢えに苦しんでいる人たち、不幸な人たちの救済等、社会活動にも積極的に取り組んだ。
【国際奉仕】 日本国際児童親善会会長、また中国で起こった水害で1千万人の困窮を救うため中華民国水害同情会会長を務め義援金活動を行った。
【青少年奉仕】 日米の児童たちの友情を推進するため「青い目の人形」と「市松人形」を贈り合う交換親善事業を行った。

   なお現在、ダイバーシティー(多様性)が問われていますが、渋沢は女性にも教育を、そして社会及び職 場で活躍することを念じて、今から120年前日本初の「日本女子大学」を設立した。また、一橋大学の設立 等教育面にも多大な影響を与えました。企業は500社、慈善事業は600と数多くの社会貢献事業を行い、 さらに職業で得た富の殆どを慈善事業に使った。渋沢栄一は自分が死んだ後、家、屋敷全て公に寄付する よう遺言。人生の全てを慈善事業に注いだ生き方でした。【超我の奉仕】「最もよく奉仕する者、最も多く 報いられる」正に「超我の奉仕」を実践した渋沢栄一でした。
1929年に世界恐慌が勃発。シカゴのロータリクラブ会員ハーバードJ・テーラーは、倒産寸前のクラ ブ・アルミニウム社の会社再建を依頼された。失敗すれば、250人の従業員が仕事を失うことになる。彼 は、この難事業を引き受け社長に就任。会社の立て直しの手段として社員たちに簡潔な指針を提供する ため「四つのテスト」が誕生。「四つのテスト」は社風の一部となり、クラブ・アルミニウム社財政の改善に 寄与することになったのです。
この『四つのテスト』と『論語と算盤』は同じ主旨で、相通じるところがあります。
今、コロナ禍で経営に困窮されている会員の方もいると思います。今こそ、この難局を打破するためには 『四つのテスト』の実践が問われていると思います。委員会では、再度会員の皆様方に『四つのテスト』の 重要性の啓蒙活動を行いたいと思います。また、高潔な経営者の方を講師にお招きし、地区全会員対象に セミナーを開催。尚、セミナー等では、渋沢栄一翁の考え方や行動等を取り入れた主旨説明を行いたいと 思います。

職業奉仕委員会委員一丸となって活動していきたいと思いますので、宜しくお願い申し上げます。